IDDKとは②
きっかけはリメディアルセラピー
けんこう塾から始まりIDDKまで
オーストラリアから5年
留学先から帰国後、5年は下積みだったと思います。
東京恵比寿のスポーツクラブで場所を借りて、オイルマッサージ
ベースのリメディアルセラピーを、いかに着衣で同様の効果を
引き出すかに取り組んでいました。
日本では当時「セラピスト」の認識がほとんどなく、男性が
セラピストとしてオイルマッサージをすることは前例がなく、
かなり難しい状況でした。
ここでは言えないけれど、多方面からまぁ色々刺されましたね(^_^;)
だからこそ、学んだ技術をとにかく繰り返し、磨き、技術を
洗練させていきました。
クラブではオイルを用いたケアがほとんどできなかったけれど、
その分技術に対する感覚を高めることに徹して、手技を洗練させる
キッカケになったと思います。
また、幸運なことに、セラピスト専門学校で講師としてのオファーを
いただき、そこでオイルマッサージの感覚を伝えながら、そこでも
スキルを高めることができました。
ヘッドハンティングの失敗
帰国後、3年ほどして初めてリメディアルセラピーを知っている人と
出会い、その2年後にその人のサロンでリメディアルセラピーを
指導しつつメインで働いて欲しいといういわゆるヘッドハンティング的な
オファーを受け、さらなる躍進のチャンス!と思い承諾。
しかし、美味しい話には裏がある?!
蓋を開けてみると、実際は理想論だけで何も受け入れの準備がなく、
スタッフ教育は皆無。さらに自分で別の場所を借り、集客から
始めなければならない状況でした。
自分で借りたならまだしも、勝手に物件決められて、家賃払えよ!と
言う状態だったから、僕がどんな気持ちになったか想像つきますよね?
上手い話には乗らないことです、はい💦
5年勤めたクラブでは、本当にお客様に望まれて予約が取れないほど
施術していたので、とてもやり甲斐がありました。
そこから離れて約5ヶ月、その人は僕の上司のような態度で
常に上から目線。
「いつ部下になったの?」と思うくらい毎日のようにダメ出しをされ、
その間はほとんど売上らしい売上もあげることなく、日々悶々と
耐え忍び、そしてついに、
「あなたの部下になった覚えはないです」と意を決してそこを離れました。
ある意味、それが独立のキッカケとなったので、結果的には
良かったのかと思います。何事にも意味がある!ってことですね。
けんこう塾スタート
そして恵比寿に戻り、テナントとして部屋を借りて「けんこう塾」を
スタートさせました。
母校の恩師からの声がけもあり、体操競技部にもトレーナーとして
定期的に通わせてもらっていたこともあり、
「ケガをしない体をつくる」という意識はさらに高まり、
IDDKの基本が始まったのもこの頃からでした。
よぼトレ
けんこう塾で5年が経過した頃、今度は路面店を出すことを決意。
そして場所を東京田町に移して「Body Structural Balancing ZOE」
という個人サロンをオープン。
いよいよ本格的に体の運動機能を高める施術がメインになっていきます。
そこでも5年目を迎える頃には、ケガをしない体づくりの手技が
体系化されてきており、「ケガを予防する」という目的から
「よぼトレ」としてIDDKの基礎が確立されました。
現在でもIDDKの手技はよぼトレから派生しているものがほとんどで、
嬉しいことに、今でも「よぼトレ続けていますよ!」という方も
いらっしゃいます。
IDDKの養成講座でよぼトレの資料も活用されているのはそのためです。
「ケガを予防する」から「自分でできる」へ
日本代表に関わるようになってから、大きな変化がありました。
それは、一人の施術に時間をかけることができないということでした。
時間は短く、しかも、より効果的な施術が求められるようになり、
さらにはケガをしないトレーニング的な要素も強く望まれるように
なりました。
ZOEでは、リメディアルセラピーを元にした施術を100分〜120分
かけて行っていたので、短時間で結果を伴う施術を行うことは
非常に高いハードルでした。
それも、オイルなしの施術だけに余計難しく、、、お先真っ暗?
となる訳もなく
困難に見える壁が目の前に迫ってくると、なぜかそれまで以上に
俄然やってやろうじゃねぇか精神が湧いてくる笑
試練を乗り越えた先には必ず成果が得られるもの。
その経験こそ、よぼトレを更に研究するきっかけとなったのは
言うに及ばずでしょうか。
そして、自分が選手たちに施すだけでなく、選手自ら自分の体に
施術できるように、よぼトレの手技をセルフケア用に改善する
ことにも繋がりました。
ストレッチやトレーニングと違い、セラピー手技をセルフケアに
応用することで起きた変化は、自分の体により意識を持って
もらうことができたこと。それにより、ケガの予防だけでなく
技の習得にも相乗効果が得られるようになったと思います。
よぼトレからIDDKへ
リメディアルセラピーの指導だけでなく、よぼトレを指導して
いくことが増えました。
途中、集客力を高めるために当時知り合ったコンサルの人から
「魔法の身体覚醒メソッド」にしてはどうかというアドバイスを
いただき、改名しましたが、やはり「よぼトレ」の方が覚えやすく、
浸透しませんでした。失敗💦
よぼトレ → 魔法の身体覚醒メソッド
サロンでは、施術をしながら消えない悩みがありました。
それは、施術のときだけその人にアプローチしても、その場限りで
終わってしまうことが多く、毎回下手をすると、前回よりマイナスの
状態から始めることが多かったんです。
これはセラピストさんにはあるあるかも知れないですが、
お客様が依存する傾向になり、サロンに来ればなんとかしてくれるという
意識が芽生えてしまうということです。
繰り返し来店してくれれば、お店の売上にはなるけど
その方の体においては、サロンの施術だけではやっぱり改善が
根付かないですよね。
一番大事なのは、施術していない時間に何ができるか?ということ。
この意識は、みなさんが理解してくれていたのですが、やはり
一人になると続けられないという現実もありました。
そこで、セルフケアの方法を動画で撮影してみたり、図示して
毎回お渡ししたりしましたが、それでも「一人になると難しい」という声が
多く寄せられました。
これを改善しなければ、せっかく施術を受けても体が改善しにくい…。
もっと、簡単に、セラピストの知識や技術がなくても、誰でも
できるように、サロンに来なくてもいつでも実践できる方法を
模索する日々でした。
いつでも・どこでも・誰でも・簡単に
施術の記録を振り返ると、けんこう塾の頃からすでにセルフケアを
伝えていたようで、それが「よぼトレ」にも活かされていたことに、
我ながら感心。
元々、アスリートがケガで涙しないようにサポートしたいという
願いもあり、リメディアルセラピーを学んでいた当時からその意識は
あったのかもしれません。
セルフケアの基本には筋肉を正しく反応させることで変化を
起こせることに気づき、その変化を継続してもらうためにシンプルな
手法を考えていった結果、「よぼトレ」は筋肉の反応を高める
手法となっていきました。
筋肉を活性させて、ケガをしにくい体づくりを行う方法への流れは
そんな経緯から生まれ
魔法の身体覚醒メソッドは新たに「筋肉活性メソッド」と名前を
変えてサブタイトルとしてIDDKが生まれました。
よぼトレ → 魔法の身体覚醒メソッド → 筋肉活性メソッドIDDK
今回、IDDKのネーミングについて書いてみましたが、おそらく
今後はネーミングの変更はないかと思います(^_^)。
以前は「Body Structural Balancing(ボディ・ストラクチャー・
バランシング)」という名前も気に入っていましたが、少し難しくて
しっくりこない感じがあり、サロンの名称に留まりました(´∀`)。
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