『みんなの“あたりまえ”が、いつも正しいとは限らない』

非常識って何?

常識って何?普通ってどういうこと?
小学校の時にも「普通はさ・・・」ってセリフを良く浴びせられてた

自分の性格のせいかもしれないけど、
なにその普通って、何で(僕が)思ったように
やることが(みんなの普通から)ズレてることを、
そんなに言われなきゃいけないの?

そう思ってたし、思ってきた。

じゃあ、普通って何だよほんと。

ジャージで飛行機移動してるって話をしてたら
「お前学生じゃないんだから恥ずかしいな」
「普通の服着ろよ」って。

ジャージといっても学校指定のようなものとか
アパレル量販店のではなくて、上下で数万したから
自分としては外出用で悪いものではなかったんだけどね。
まぁ、これも自分だけの感覚といえばそうだけど。

そもそもジャージで飛行機乗るの非常識なの、、、?
でもね、

それから数年して、ジャージ風のファッションが流行して、
ジャージだったり、スウェットタイプだったりを着る大人が
一気に増えたんだよね。

どうなったと思う?

飛行機でそのジャージファッションの人が「普通に」なったんだよ。

あれ?何それ。恥ずかしい格好じゃなかったの?
なに、みんなして市民権得たみたいに堂々と「ジャージ」着てんの?
恥ずかしいって言ってたのは?

「それ、まだ見慣れてないだけ」

──って、当時の僕が聞いたらどれだけ救われただろう。

もっと時代を遡ると、30年ほど前アメリカに留学してた時、
クラスメイトに帰国前に「メールアドレス教えて」って言われた。

「メール、、、アドレス?」、
アドレス?住所?メール?何のこと?
その彼いわく「日本に帰ったらプロバイダって
いうのがあるはず。そこからメールアドレスを
もらえるはずだから」って。

プロバイダ?なんじゃそりゃ・・・。EMSのことじゃ
なさそうだし、

だけどそれから数年して、日本で通信会社で働いてる知人が
社内で「いーめーる」を始めてさっていう話が出て
あ〜これのことかっ!!って・・・。

帰国後、仕事の関係で携帯電話を使っていた。
僕の周りではほとんど携帯を使っていなかった時代。
「何、お前カッコつけてんの携帯なんか持って」

何人かはPHSを使ってたけど、当時の携帯は機種代金も通信量も
通話料も高くて、大袈裟じゃなく友達50人の中でも
僕ぐらいじゃなかったかな。

それから3年半、海外から一時帰国した時に
当然、「一時」だから携帯ももってなくて、
その友達から「お前、携帯持ってないのかよ!
連絡取りづれぇじゃんかよ!」と怒られた。
え?どういうこと?

持ってて怒られて、持ってなくて怒られて。

 「“未常識”を笑わないで」

──なんて言葉が、もっと早く世の中にあったなら。

同じ様なことはそれ以外でも多々ある。

僕がやることにケチをつけたい訳じゃないとは思うけど、
僕がやることが他の大多数と違うことが多かったのは事実。

それで面白いのが、しばらくするとそれが
当たり前になってきていたことが多いということ。

つまり、何が言いたいか?

知らないこと、見慣れないことをやっていると
普通じゃなかったり非常識だったりして、

大多数が当たり前に知っていたり、見慣れていることを
やっていたら普通、当然、常識的ということなのか?

普通を考え、常識を意識して行動することは
輪を乱さないとか、足並みを揃えるとか、目立たないとか、
そのためには必要なの、、、かな。

でもさ、
その人が(未だ)知らないだけで、
その人の常識じゃなかっただけで、
普通じゃないとか非常識とか言ってる様な気がする。

それを「知った後」は、さも当然という体で話するから、
ある意味怖い。
いや、それが普通なんだろう。

普通の人が「未だ」知らないこと、
一般的な人が「未だ」経験したことないことは、
その人それぞれたくさんあると思う。
僕も多くある。

知らないこと、経験したことないこと
(自分の)常識では理解できないこと、それが目の前に
現れたときに、どう対応するか。

というよりも、
知らないことは常識になり得ない。
知らないことは普通になり得ない。

普通じゃない、常識じゃないと言われても
それは自分が悪いことではないってことなんだ
ただ単に知らないだけ。

だから、
普通にしようとしないで良いんだ。
常識的に振る舞わなくても良いんだ。

というと極論になっちゃうかも知れないけど、
世の中、普通じゃないことの方が多い気がする。

 みんなの“あたりまえ”が、いつも正しいとは限らない。
さて、僕の知っている「非常識」というか「未常識」、
自分のためじゃなく、未だ知らない人に知ってもらいたいものだ。