プロフィール

Profile

笑顔が勇気を与え、生きる力こそ笑顔になる
そんな思いを【自分の手】で、一人でも多くの人に繋げていく。

森岡 望

モリオカ ノゾム(最近ではモーリーと呼ばれてます( ◠‿◠ ))

誰にも負けないスポーツに掛ける情熱を持ち、いつでもアスリートの力になれるようこれまで約20年体操トレーナーとして、国内だけでなく海外の強豪選手と競い合うオリンピックや世界選手権の日本代表トップアスリートを中心に、ケガをしない身体をつくるため常に最新の技術と理論を導入し、選手たちをトップに導くサポートを続けてきました。

ケガをさせない、ケガからより良い状態で回復させ、身体の可能性を追求することは本当の健康な身体を手にするために欠かせないと考えています。

資格

日本スポーツ協会

  公認アスレティックトレーナー

    公認コーチ

豪州政府公認国際資格 リメディアルセラピスト

体育学修士

経歴

JOC医・科学強化スタッフ(体操競技)

東京五輪強化スタッフ男子トレーナー部員
体操男子ジュニアナショナルトレーナー
体操女子ナショナルトレーナー
日本エアロビック連盟強化委員
福井県国体強化スタッフ体操トレーナー

(2018年まで)
​​日本リメディアルセラピー協会 代表

トレーナーとして

2019年〜2022年

寺本明日香選手(ミキハウス)専属トレーナー

 

女子日本代表

2015年・2017年世界選手権

2017年カナダ国際

 

男子日本代表

2017年アジア選手権

2017年2018年アジアジュニア選手権

2018年2019年ヒューストン国際ジュニア

2017年国際ジュニア

 

国体トレーナー

福井県体操競技チーム(2011年~2018年)

森岡望という人物

プロフィールということでこれまでの人生をまとめました。(長文です)

1970年5月1日上下姉妹に挟まれた三人兄妹の長男として生まれる。横浜市出身。

 

3歳10カ月まで父親の実家がある三重県熊野市で海・山・川の自然の中で野生児として育つ。

父親に遊泳禁止の浜で波にさらわれないように耐えることから海の怖さを学び、川で急流にのまれ溺れかけ、ターザン遊びで山中を駆け回った。

得意科目は「体育のみ」、中2で体育の教師を目指すと決めたのはそのせいかも知れない。

楽天主義で「やりたい」と思ったことは計画するより先に実行する性格から、進路にも悩まず大学も体育学部へ。

残すは採用試験、20年近く競技スポーツに勤しんできたこともあって、ふと急に【教師になるなら社会勉強をしてからの方が良いはず!】と思い大学院へ進学。

しかし、ここでも競技を続けてしまい再度迷う。そこで、自分を試し高める意味で青年海外協力隊へ参加する。

「体操競技コーチ」として26歳から3年間バングラデシュ体操連盟へ赴く。

 

当時、世界最貧国の一つと言われたバングラ。その理由は都市部で富裕層と低所得層の差が非常に激しいからだ。

後者はいわゆる「スラム街」に住む人々。事務局からは安全の為、決してスラム街には近づかないことというお達しが出ていたが、活動には現地の言葉の習得が不可欠

「郷に入っては郷に従え」と、ここでも思い立ったが即行動という性格が発揮されてしまい、

スラムの人たちと交流を持つ。3年間の活動を支えてくれたのは他でもない彼らとの交流だった。

その中でも仲良かった家族は、金銭面も栄養面も衛生面でもとにかく貧しく、想像以上に厳しい生活。

長老の娘さんに子供が生まれ祝福に行くと、翌日にはその子は天国へ。それでも気丈に母親は僕を

気遣い明るくふるまってくれた。小児ポリオで脚が不自由な息子がいた。不自由なはずでも心は豊かで、

家族皆が毎日の様に僕に夢を語ってくれた。「将来、森岡の居る日本に行って働いて家族を支える!」

どれほどの精神力なのだろうか、僕の目に映る生活環境は「辛い」をはるかに超えている。

それにもかかわらず誰もが笑顔で接してくる。

『なんでこの人たちはこんな笑顔が出せるんだろう・・・』

バシーン!っと身体を電流が走った・・・

【人を笑顔にしたい。この手で!】

特に日本人を。週明けの月曜日、ラッシュアワー、誰もが鉄仮面をかぶり無表情で足早に急ぐ。

きっとその人たちだって素敵な笑顔を持っているはず・・・

その瞬間12年間迷うことなく目指して来た体育教師への道は頭の中にはなかった。

何か自分の手で人を笑顔にできるものはないだろうか?

そして、そのモヤモヤを消し去る大きな変化の瞬間が訪れた!

研修でタイ本土の体育施設を回り、流石に疲れて何気なく入ったタイマッサージサロン。

タイのおばちゃんなかなか上手い・・・

ビビビっと再び電流が走った!そして、閃いた。マッサージだっ!!

それまでの競技人生を振り返っても、自身を含めてケガで涙を流したアスリートを多くみて来た。

【その経験を他のアスリートにはさせたくない】、

スポーツ医学に基づいたマッサージを学べる場所へ行こう!

留学を決意したもう一つの理由は、

【他の誰もやっていないことを学びたい】だった。

協力隊を1年延長し3年間の任期を終えて帰国。両親と久しぶりに再会。

「ただいま~、あのさ2週間後オーストラリアに留学するから!」

両親の反応がどうだったかはご想像にお任せします。笑

4カ月語学学校を経て自然療法(自然医学)ではオーストラリアで最も歴史の古い大学へ入学。

学長と面談しコースを選択。オリエンテーションが始まると望んでいた内容との相違に気付く。

再び学長に「もっとスポーツ医学とマッサージに携わりたい」と直訴。

すると、コース変更はできないが単位を取れば資格を発行すると言ってくれた。

週6日、一コマ3時間、一日4コマが3~4回で2年半。

クラスメイトには「なぜそんなに授業があるのか?」と驚かれた。

通常は1日1~2コマ。

それは、2つのコースを同時履修したから。それでも何も辛くはなかった。

ただ、最初の1か月は脳みそが沸騰して湯気が出ていたくらい。笑

順調に進んでいたが、1年後「最初の」結婚。相手の女性は幼少から家庭環境が余り良くなく

精神的に困難な状況で育ち、当時も不安定な状態。それが理由とは言いたくないが、

今思えば、良い信頼関係、夫婦関係が築けていなかった。

子どもを授かったが関係が修復することは無く、徐々に自分も苦しくなる。

相手が精神的に不安定になった理由は自分のせいだと言われ、存在すら否定され続け、

その間の平均睡眠時間2時間、自分を見失い自信も失い精神的にも限界に来ていた・・・

子どもの為には両親が絶対必要!と6年間頑張ってきたが、結果、別居。

子どもとは全く会えない1年間が始まる。毎晩会えない子どもを思いお酒を飲みながら

涙に明け暮れた。相手に全く認めてもらえず、法的に離婚が成立したが、

子に会う権利も得られなかった。

家族を失い、子を失い、自分を失った。

全てを失った・・・

人に会うのが怖い、人と話すのも怖い、自分の信念すら伝えられない・・・

​そんな時に「信じる心」と「真実の愛」を全身にまとったような女性が目の前に現れた。

心の闇に差し込む一筋の光の様に。次第に閉じていた凍っていた心が開いていく。

【自分は自分で良いんだ!】

信じることとはこういうことなんだ、ということを教えてもらい、初めて実感した。

笑顔を取り戻していく。

しばらくして、実家に行ったとき、普段寡黙な父親が口を開いた・・・

「望の笑顔を見たのは何年振りだろうね。」

その言葉が全て。

嗚呼、自分はどれだけ守られ続けてきたんだろう。涙がこぼれ落ちていく。

母親も顔を上げられない。心配かけてたんだなぁ。涙

信じること、感謝すること、そして愛すること。

それを改めて感じ、自分が気付いた時「笑顔」になっていた。

その笑顔は表情ではなく心にも咲いた。別離した元奥さんの女性に対する感情にも変化があった。

自分も辛かったがきっと彼女も辛かったはず。どちらが良い悪いではなく「感謝」の思いが心に

自然と湧いた。その件から初めて「ありがとう」の言葉が口を突いて出た。

そして笑顔を取り戻すきっかけを与えてくれた女性と人生を共に歩むことを決め、

数年後二人でお店を出すことっとなった。

2011年、震災が襲った影響もあって資材が足りず、開店工事が2か月遅れた。

更に開店1か月お客さんは来ない。

設備資金に続き営業資金も底をついた。

それでも店舗家賃など固定費の支払いは迫ってくる。手持ちの現金も殆どなくなっていたため、

そこから1カ月近く100円未満のものしか買えない生活。

預金通帳に記された残額・・・37円。

あの苦しんで自分喪失状態から再出発して、とても良い流れを構築していたところでの大きな試練。

やっぱり駄目なのかな。と言うよりお金ない。支払いできない。

せっかく作ったお店だけど、畳まないとダメ…だよね?!

自分たちでつくり上げてきたお店を手放す。断腸の想いでオーナーさんに伝えに行く。

「森岡さん、私もビジネスをしている一人としてお聞きしますね。」

「やりきりましたか?全部やりきりましたか?」

「あんなに毎日頑張ってつくって来たのに本当にやめて良いんですか?」

オーナーさんの言葉に救われた!

やりきったか?全部?本当に?

やってない!やろう、やり切ろう!

【ここで終われない!】

あの手この手で策を練り行動する。

そして!

しかし、現実はそこまで甘くない。やはり改善されなかった。もう無理か、

あと何をしたら良いんだろう。

もう、辞めようか。

実際、即高収入を見込んで風俗業の面接にも行った。担当者が言った・・・

「森岡さん、ここはね、森岡さんのような方が来るところではないですよ。お帰り下さい。」

眼鏡越しに優しく綺麗な目が見えた気がした。ここにも背中を押してくれる人が居た!

仲良しでお店を出している夫婦が言ってたっけ、

「お金が無い時は、お金を使っちゃう!そうしたらきっと回って戻ってくるから!」

「うちらもそんな時あったよ!」

そこから二人が取った最後の手段。

大好きなディズニーシーへ行っちゃおう!

二人で楽しもう!気持ちまで沈んでしまったらいけない!

(でも、手持ちは無いからクレジットで支払い。苦笑)

夢の国で過ごした一日、笑顔の中で互いの気持ちや思いを確認し合った。

この先どうする?

辞めたくない!よね?

絶対に大丈夫!だよね?

やりきろう!できるかな?いや、やる!大丈夫、できるはず!

そして、翌日。

存在すら忘れかけていた電話が鳴った!

予約が入った!

初めてのお客様来店!?

流れが変わった!

また一人、また一人とお客様が増えていく。

身内からも野菜やお肉、お米が届けられる。毎日「有り難いよね。ありがとうご飯だね。」

そう言う度にちょっぴり頬を伝わる塩味が加わる食事。

そして、

スーパーで納豆を手に取りレジへ。

「103円です。」

(うわぁ!)思わず叫びそうになり急いで帰宅。

「聞いて、聞いて~。103円!!」

「3桁!!」

「ほんとに~?!すごいじゃん!!」

しばらくレシートを神棚に置いていた。微笑

感謝の証として・・・

その年の大晦日、「年を越せるね、ね。新年迎えられるよね。本当に感謝だね!」

【乗り越えた!】

二人に笑顔が、間違いなく今まででも最高の笑顔。

様々な思いが交錯し涙となって溢れて来た。

楽天主義の自分に根拠ができた、絶対に大丈夫!

生きていれば嬉しいこと楽しいことだけじゃなく、辛いことや苦しいこともある。それでも、

【笑顔が勇気を与え、生きる力こそ笑顔になる】

そんな思いを【自分の手】で、一人でも多くの人に繋げていく。

特にトップを目指しているアスリートに。

きっと、過去の自分をケアしたいのかな。

そんな思いも湧いてくる。でも、もう過去の自分に涙は無い。

笑顔を忘れてしまった人も、しばらく笑っていない人も、笑顔の素敵な魅力を

再確認してもらうために、森岡 望は突っ走る。

笑顔の花を咲かせるために!

どんな人にも笑顔がある。

それは人柄が一番表情に現れた時。だから、その人の笑顔が見たくなる。

自分がぶすっとしていたらきっと誰も

笑顔にならない

笑顔にできない

身体が良くなると自然と笑顔になる

ケアをすると笑顔が出てくる

色々考えるけど根本的になんでも楽しい

普通じゃない奴だって言われてきたけど

自分と繋がって人が笑顔になってくれたら

それだけでやっぱり嬉しい

じゃあ、何も気取ることなく自分でいればいいだけ

おもしろい奴だって言われたら

それは一番の褒め言葉

自分らしく笑顔で生きよう

​これが森岡という人物。